2010-01-01から1年間の記事一覧
宮本武蔵という剣術家は 「自分が殺されないためには、絶対的に相手よりも 上の力を備えることが必要だ」という思想を持っていた。 帰納法的に「仮想敵」を置いて、自らを鍛錬していた。 しかし「活人剣」の上泉伊勢守は「自分が作った物語(ドラマ) の中に…
リアルなものは、外側の形態ではなく、事物の本質のほうである。 この事実から出発するとき、外面を模倣することによって 本質的にリアルなものを表現することはいかなる人にも不可能である。 コンスタンティン・ブランクーシ(彫刻家、1876-1957)
リアリズムの作家もファンタジーの作家も、莫大な量のことを 語らずにすませ、イメージやメタファーによってぎりぎり 最小限のことを暗示し、読者がその出来事を想像できるように します。 そして読者はまさにこれをするのです。 物語は共同作業によって成り…
経験はアイディアの源泉です。 でも、物語は起こったことを映す鏡ではありません。 フィクションは想像力によって変換され、変形され、 変貌させられた経験なのです。真実は事実を含みますが、 事実と共存することはできません。芸術における真実は模倣では…
想像力は、生の根底にある暗黒物質を 変貌させることができます。多くのエッセイや自伝を読んでいて、 わたしが足りないと感じだすもの、 どうしても欲しいと思うものはこの変貌なのです。わたしたちが共有している、なじみ深い苦しみを 認識するだけでは足…
単純さは、芸術の目的ではない。 しかし、事物のリアルな感覚に接近してゆくと、 知らず知らずに単純さに到達するのである。 単純さは、その底に複雑さを秘め、 その意義を理解するためには、 その本質によって人は成長しなくてはならない。 コンスタンティ…
眼がさめたとき、あるいは眠りに就く前に 床の中の暗闇で研究することについて― 暗闇の床の中にいるとき、以前に研究した形態の表面の 線とかその他微妙な観照によって把握された注目すべき 物を想像のなかで反復してみることは少なからず役に 立つものであ…
「本物とは、いろんなものを取り入れながらも それらを自分のものとして昇華させて、 濁りが無い澄みきった、それは目には見えない、 “幽玄”な佇まいを持っていることをいうのでは ないかと思います。」 (書家・木下真理子氏のblogより抜粋)
物体の輪郭はそれの一部分ではなくて、 それと接する他の物体のはじまりである。 かくのごとく交換的に、何の妨害もなく 前者と後者とは互いに輪郭をとなりあう。 したがってこのような輪郭は、 いかなるものの部分でもないのだから、 何ものをも占めていな…
”create like god, command like king, work like slave”.「神のように創造し、王のように指揮を執り、奴隷のように働け」 コンスタンティン・ブランクーシ(彫刻家、1876-1957)
あらゆるプロジェクトは、スタッフ全員が自らの役割において最大限に 能力を発揮してこそ素晴らしい成功に導かれるものである。 が、同時に忘れてはいけないことがある。 それは「全体を捉えつつ、自らの役割を担う」ということである。(中略) スタッフ全…
また、司祭であるということは 「場の全体を常に見ていること」をも意味している。 チームワークには分業が付きものだ。いざ計画が走り始めたら、 スタッフを適材適所に配置し、全体の動きに目を配らなねばならない。 ビジネス・プロデューサーは、大教会に…
価値観の変革者であるビジネス・プロデューサーは消費者に 新たな「場」を提供する。と同時に、自らが率いるチームの スタッフにも「創造の場」を提供する。 ここで大切なのは 「ビジネス・プロデューサーは創造の場に君臨する王ではない」 ということである…
人間でも物でもそこらにころがっていれば存在している ことになるのではない。それぞれはその大きさ、位置、 間隔、方向などの照応関係によってはじめて人間であり 物であることになる。ある物が広がりをもち存在感の あるように見えるときは、必ずや他の物…
紙の上に点を打てば、それによって 下の紙の部分は消されてしまう。しかし点の下の部分は、消されることによって次の瞬間、 点をも抱え込んで一層大きく広いものとして蘇ってくる。つまり紙は点の辺りに海となって広がり、 点を島に変えてそこに浮かべる。芸…
通常はプランニングから制作を進める。 しかし逆に、物から、場所から、インスピレーションで 制作を始めることもたまにはある。 どちらも出発点であって、そのまますぐ作品になるわけではない。 プランニングから始めると、実際ではどんどんズレていくもの…
グレーは存在感が弱く概念性に欠けている代わりに、曖昧で うつろいやすい未確定な世界を表すのにふさわしい色である。 そして作品が現実からも観念からも浸透を受けつつ、両方に 影響をおよぼす両義的な中間項である限りにおいて、 グレーはまさに絵画的な…
(『ジンメル・コレクション』「額縁―ひとつの美学的試み」より抜粋) 額縁の装飾全体を構成する決め手になっているのは、 流動と自己隔離の印象であり、これによって、絵画が あらゆる周縁的なものから絶縁されていることが強調される。 したがって分断のた…
(『ジンメル・コレクション』「額縁―ひとつの美学的試み」より抜粋) あらゆる心的現象において、ある存在が私たちにたいして距離を 保っているということは、その存在がそれ自身のうちで統一を 保っているということだ。なぜなら、ある存在が自己完結して…
芸術における境界とは、自然物において境界と呼ばれているものとは まったく意味を異にする。 自然物における境界とは、そのかなたにあるすべてのものとのあいだで、 たえまなく内浸透と外浸透が生じている場所というほどの意味しかない。 しかし芸術におけ…
アートは詩であり批評でありそして超越的なものである。 そのためには二つの道がある。 一つ目は、自分の内面的なイメージを現実化する道である。 二つ目は、自分の内面的な考えと外部の現実とを組み合わせる道である。 三つ目は、日常の現実をそのまま再生…
「Photography」は、イギリスのジョン・ハーシェルが写真の発明者の ひとりであるタルボットに書き送った手紙のなかで初めて使った言葉で、 「Photo-」は「光の」、「-graphy」は「書く、描く」という ギリシャ語を組み合わせた造語であった。 つまり、「光…
<記憶の原色>にジャコメッリが気づいていたことはおそらく まちがいない。記憶する作業やイメージの作用においては モノクロームの世界のほうが格段にカラフルだと、かれは おもっていたはずだ。 彩色の貧困や彩色の陰謀にも気づいていただろう。 だから、…
(辺見庸「私とマリオ・ジャコメッリ」より抜粋)ジャコメッリは、 「白、それは虚無。黒、それは傷痕だ」 といみじくもいっているが、私もまた虚無と傷痕があれば あとはいらないとおもう。じじつ、私の記憶の根っこには、 モノクロームの映像があり、それ…
文化が発展すると、仕事はますます特殊化し、一面化し、 担当分野にますます狭く限定されるようになる。 ところが、こうした生産の細分化に対応して消費が 細分化されることはけっしてない。むしろ逆だ。 現代人は、あたかも、分業によって仕事が一面的で 単…
書物からまったく離れて生きるのはむずかしいことです。 百年ばかり昔、アンドレ・ジッドは自分にむかって 「すべての書物を捨てるべし」と命じながら、 パリからアフリカへ旅立ちました。 旅の荷は軽くなかったようです。 ひそかに書物をたずさえていたから…
単彩画やそれに近い作品の巧みな明暗表現に接すると、 このうえもなく心が和んでくるが、それはひとに全体を 同時に知覚するからである。 普通、われわれの眼は時間的な経過のなかで全体を捉える。 だから全体は生みだされるというよりも、 むしろ探し求めら…
イメージは精神であり、物質、時、空間、視線のチャンスである。 われわれ自身の証しとなる痕跡であり、絶え間なく記憶や物語や 知の法則を支えるリズムを生きる文化のしるしだ。 マリオ・ジャコメッリ
手塚治虫が「鉄腕アトム」のイメージを造形しようとしたときに、 そのイメージの源泉になったものは、昆虫の世界でした。 子どもの頃から親しんでいた昆虫の社会をとおして、彼は生命の世界の奥深い構造を垣間見てきたのです。地球上の生物の中でも、昆虫ほ…
「廃校などの郊外の空きスペースの活用」 県内のいたるところに廃校などの使われなくなった 大きなスペースがあるようです。こういった未使用のパブリックスペースを文化的に有効活用する、 単発的なイベントだけでなく、アートインレジデンスや ワークッシ…