【写真】

写真、見るためのもの

写真は一人の人間の写す単独の像である。 と同時に、絵画やインスタレーションといった美術内部にとどまる ジャンルとは違い、数多くの機能を社会のなかでになっている。 それが、「写真とは何か」という問いを複雑にするだろう。 記録、伝達、アリバイ、複…

日本写真史観の見直し1

写真は展覧会場に展示して美的価値を享受するためのメディア ではない、という考え方が、かつては支配的だった。写真は本来、 記録性を特性とするメディアであり、複数性を特徴とするのだから、 印刷媒体を通じて広く大衆の眼にふれる社会性でなくてはならず…

大田黒元雄の「写真芸術」

モノクロームの絵を活かすのに最も大切なのが 光と影との対照並びに諧調なのは言ふ迄もない。 事実、写真は光と影の芸術だ。 それに次いで必要なのは構想と構図に対する考へを 発達させることだらう。けれど此れは前に述べた光に 対する問題と違って、美術上…

写真作品とコンセプト1

確かに、コンセプトを決めて写真を撮ったら 「コンセプチュアルな写真」になるわけでは ないんですよね。 その点では、「コンセプチュアルな作品」って すごく誤解されていると思います。 一般的にコンセプチュアルな作家だといわれて いる人の中にも、作品…

「Photography」と「Digital Imaging」

「Photography」は、イギリスのジョン・ハーシェルが写真の発明者の ひとりであるタルボットに書き送った手紙のなかで初めて使った言葉で、 「Photo-」は「光の」、「-graphy」は「書く、描く」という ギリシャ語を組み合わせた造語であった。 つまり、「光…

ジャコメッリ、<想像の入口>としてのモノクローム2

<記憶の原色>にジャコメッリが気づいていたことはおそらく まちがいない。記憶する作業やイメージの作用においては モノクロームの世界のほうが格段にカラフルだと、かれは おもっていたはずだ。 彩色の貧困や彩色の陰謀にも気づいていただろう。 だから、…

ジャコメッリ、<想像の入口>としてのモノクローム1

(辺見庸「私とマリオ・ジャコメッリ」より抜粋)ジャコメッリは、 「白、それは虚無。黒、それは傷痕だ」 といみじくもいっているが、私もまた虚無と傷痕があれば あとはいらないとおもう。じじつ、私の記憶の根っこには、 モノクロームの映像があり、それ…

奇眼暗室1

2008年末に、オッドアイの『分室』として、暗室を造りました。 手焼きの美しさ、素晴らしさを追求する有志とともに、「写真を焼く」という手仕事のためだけに存在する秘密の作業部屋を造りました。 宝玉の原石を掘り出し、その石の中に隠された美しい輝きを…

“Conceptual Photography”

大学で日本文化を専攻し、東洋思想や 日本の心に深い関心を寄せる若きアメリカ人、 Adam Chamness(アダム・チャムネス)。“Conceptual Photography”という、ちょっとひと味違った 「心の芸術」としての写真を指向している。 Conceptual Photography is akin…

「-猫のいる風景-」写真

「猫の写真」、というのはよく見かけます。 「風景写真」もよく見ます。 どちらもカメラを手にして撮影する人にとって、 「撮りたい」被写体だと思います。猫はかわいく撮りたいでしょうし、 風景はきれいに撮りたい写真だったりします。では、このふたつの…