ジャコメッリ、<想像の入口>としてのモノクローム1

辺見庸「私とマリオ・ジャコメッリ」より抜粋)

ジャコメッリは、
「白、それは虚無。黒、それは傷痕だ」
といみじくもいっているが、私もまた虚無と傷痕があれば
あとはいらないとおもう。じじつ、私の記憶の根っこには、
モノクロームの映像があり、それにつよいノスタルジーを感じる。
といっても、純粋に白と黒だけでなければ許容しないというほど
かたくなではなく、たとえば青の輪郭のようなものはあってもよい。
要するに、画素数のきわめて多い精密な多色の世界ではない、
ということである。


(中略)

それは宇宙ならぬ内宇宙、すなわち人間の内面である。
内面の変幻無限性は科学や技術などではとうてい
とらえることはできない。それは想像力によってのみ
とらえうる世界であり、そこではあらかじめお仕着せの色に
着色しようとする試みなどはてもなく拒否される。
そこに広がるのはモノクロームの世界である。
<記憶の原色>は色を超えたモノクロームである。


(中略)


モノクロームの世界は、
われわれに<想像>の余地をあたえてくれる。
いや、余地どころか、モノクロームは<想像の入口>であり、
それに着色するのはわれわれの内的な作業である。

(続く)