2011-01-01から1年間の記事一覧

(半)透明なもの

実際われわれは、光をそれ自体として見ているわけではない。 そうではなくて、何か下にあるもの(委ねられたもの)において 見ているのであり、これが(半)透明なものである。 (半)透明なものは、色を持たないために、それ自体としては もちろん目には見…

影と痕跡と鏡像

絵画(的なるもの)の起源をめぐって、西洋では古くから、 三種の神話が語り伝えられてきた。影と痕跡と鏡像(水鏡)がそれである。 古代ローマの博物学者プリニウスが語るところによると、 戦地に赴く恋人の影をなぞったのが、絵画の起源とされる。一方、キ…

写真、見るためのもの

写真は一人の人間の写す単独の像である。 と同時に、絵画やインスタレーションといった美術内部にとどまる ジャンルとは違い、数多くの機能を社会のなかでになっている。 それが、「写真とは何か」という問いを複雑にするだろう。 記録、伝達、アリバイ、複…

日本写真史観の見直し1

写真は展覧会場に展示して美的価値を享受するためのメディア ではない、という考え方が、かつては支配的だった。写真は本来、 記録性を特性とするメディアであり、複数性を特徴とするのだから、 印刷媒体を通じて広く大衆の眼にふれる社会性でなくてはならず…

光と美術2 ―レオナルド・ダ・ヴィンチのスフマート

レオナルドは『絵画論』の中で、暗い部屋で灯火に照らされた人物を どのように描くべきか説明しているが、夜景画を描いた形跡はない。 彼は、光を強調せずに闇を描いた画家であった。それは、暗さを目的としたものではなく、微妙な光によって立体感や 空間の…

光と美術

光は視覚世界においてはすべての根源である。 目がある事物を認識するとき、形態や色彩といった その事物についての情報は、それを取り巻く光に依存している。さらに光は聖なるものの根源でもあり、多くの文化圏において、 神、真理、理性などの象徴とされた…

大田黒元雄の「写真芸術」

モノクロームの絵を活かすのに最も大切なのが 光と影との対照並びに諧調なのは言ふ迄もない。 事実、写真は光と影の芸術だ。 それに次いで必要なのは構想と構図に対する考へを 発達させることだらう。けれど此れは前に述べた光に 対する問題と違って、美術上…

フランシス・ベーコンの“リアリティー”3

(インタヴュアー)「最期に残るリアリティーとは何ですか。そして、 それは最初に描いた対象とどのようにつながっているのですか。」 (F・ベーコン)「必ずしもつながりがるわけではないのですけれど、 画家は最初にモチーフとなったものと同等のリアリテ…

フランシス・ベーコンの“リアリティー”2

(インタヴュアー)「これまでの話から判断して、結局あなたにとって 一番大切なのは、作品がリアリティーを直接的に表現しているかどうか ではなく、無関係なものを並べたときや、あるものをミスマッチな背景の 前に描いたときに生じる緊張関係であるように…

フランシス・ベーコンの“リアリティー”1

似たような作品がさまざまな方法で繰り返し作られ、 それらに囲まれた私たちは芸術漬けになっています。 そのため飽和点に達してしまい、リアリティーを生み出す 新しいイメージや方法を求めています。結局、人間は創造を欲するのであって、いつまでも過去を…

証明、精神の眼

証明は、定義からの必然的な帰結であり、少なくとも この定義されたものがもっているひとつの特質を、 結論として導き出すものである。しかしその定義が名目的であるかぎりは、どの定義からも、 それぞれひとつの特質しか導き出すことができない。 他の特質…

覚書・美の余韻

【余韻 よ-いん】 1 音の鳴り終わったのちに、かすかに残る響き。 また、音が消えたのちも、なお耳に残る響き。 余音。「鐘の音の―が耳もとを去らない」 2 事が終わったあとも残る風情や味わい。「感動の―にひたる」 3 詩文などで言葉に表されていない趣…

話し合うこと

メリーノ「おたがいに話し合っているのがなにについてなのか、 知っていなければいけませんか?それとも、 どんなことでも必ずまちがうのでしょうか?」 エンデ「おたがいに話し合うのは、一体全体なにについて 話し合っているのか、それを知るためにするの…

明暗

光と陰の調和について思う。 光と陰が、分離する時は物の存在性がくっきりとし、 どちらかに傾くとその有無の規定に影響を及ぼす。 光と陰が程よく一体化されて、物と物が共鳴し合えば、 対象性を越えてそこに豊かな空間が現れるのである。東アジアでは、昔…

エンデの美1

美はその本質において超越的なものです。 この此岸の世界からだけでは、 それはまるで把握できないのです。 美は客観化できません。いいかえれば、 美は測ることも計ることも数えることもできないのです。 美が知覚されるためには、 美を知覚できる人間が必…

創造力への覚書1

創造力、creation。 個人の自由な想像力と直観による未来への予見を、 現在において形成し表現しうる人間の精神と肉体の力。 それは、美しさにおいて究極的なものとなる。 現在の延長上にある「改良」は、 創造力を潜在的に用いる「工夫」のひとつである。 …

言葉と沈黙

実際、沈黙は一つの世界として存在している。 そしてこの沈黙の世界性によって、言葉は自己自身を 一つの世界として形成することを学びとる。 このように、沈黙の世界と言葉の世界とは 互いに向かい合って立っているのである。 したがって、言葉は沈黙に対置…

詩と嘘

詩と嘘は同じ物質からできているのです。 虚構(フィクション)という物質。 この物質は、だれが使うかによって、 薬にも毒にもなります。 それはものが見えるようにもするし、 見えなくもする。 詩は現実ではないと称し、 だから現実を生み出す。 嘘は現実と…

エンデの創造力

世界の隠れた側から来るものがすべてそうであるように、 人間の創造力も、測ったり、数えたり、重さをはかること ができず、そのために科学の手がまったくとどかない。 しかし、同時に創造力は重要な科学研究すべての前提条件 でもある。ということは、科学…

「被害者意識」は敵である

企画したことが、必ずしも実現するとは限らない。 資金的問題や時間の問題や人の問題で、時には暗礁に 乗り上げてしまうこともある。 どのようにこだわっても、やり遂げられないことは あるのである。 それは辛いことだが、撤退する勇気を持つべきである。 …

ヴェイユの言葉、創造

人間の偉大さとはたえず自己の生を再創造することにある。 自己に付与されたものを再創造する。 自己が甘受するものを鍛えあげる。 労働を介して、自己の自然的存在を産出する。 象徴を援用する科学を介して、宇宙を再創造する。 芸術を介して、自己の身体と…

写真作品とコンセプト1

確かに、コンセプトを決めて写真を撮ったら 「コンセプチュアルな写真」になるわけでは ないんですよね。 その点では、「コンセプチュアルな作品」って すごく誤解されていると思います。 一般的にコンセプチュアルな作家だといわれて いる人の中にも、作品…

無限について4

私の作品は単純でありかつ複雑である。 作品の素材の選択や制作行為を最小限のものに 止めるという意味で厳しく自己を限定しており、 無規定な素材をそのまま用いたり周りの空間を 受け入れるという意味で複合的でややこしい。つまり自己を最小限に限定する…

無限について3

私はいかにして、無規定で不案内な未知性と関わることが 出来るか、そのことのために表現を試みるのである。 (中略) 人間を含めた大きな外界との関連の中で、自己を見ようと することが、私の歴史意識であり世界観である。 世界は私を越えてあり、不透明な…

無限について2

作品は、語れるが言葉そのものではない。 作品は、外界と関わるものである限りにおいて、 言葉からズレ隔てられたものであるしかない。近代言語論的に従えば、言葉とは、つまるところ 自我の表出した代名詞であり、その再現である。私は時に、自我--言葉から…

無限について1

私は無限感の漂う作品が好きだ。 描いたものと描いていない空間が絡み合って、 余白の力が漲る唐宋代の山水画や、 わずかに遺った絵画の破片とその周りを埋めた 広大な漆喰との鬩ぎ合いを見せる古代ローマの 壁画群など、そこには作者を遙かに食み出た、 大…