無限について4


 私の作品は単純でありかつ複雑である。
作品の素材の選択や制作行為を最小限のものに
止めるという意味で厳しく自己を限定しており、
無規定な素材をそのまま用いたり周りの空間を
受け入れるという意味で複合的でややこしい。

つまり自己を最小限に限定することによって
最大限に世界と関わりたいわけだ。


 このような私のミニマリズムは、作品が生き生きすることより、
空間が生き生きしてほしいとこの方法である。

作品は記号化されたテクストではない。エネルギーを蓄えた
矛盾を含み可変性を持つ生命体でありたい。
一筆のストローク、一個の石、一枚の鉄板の状態は、
それらが他との対応において、力に漲る生きものの
それでなくてはならない。

行為にもまして用いる素材の力が重要であり、
さらには素材同士や辺りの空間との照応する関係項として
働くものでなくてはならない。

これらは、仕組む論理の徹底化と共に、運動選手が技を
鍛えるような厳しい訓練が伴うことによってのみ可能である。

照応力を作り出すのは私だが、作品から無限感を漂わせるのは、
余白としての空間の力に依る。

このようにして作品は、現実と観念を呼吸しつつ、
またそれらに影響を与えるものである。


私の作品は、他人にとってと同様私にとっても、
つねに未知性を含んだ半透明なものであってほしいのである。



李禹煥『余白の芸術』より抜粋)