【美意識】
実際われわれは、光をそれ自体として見ているわけではない。 そうではなくて、何か下にあるもの(委ねられたもの)において 見ているのであり、これが(半)透明なものである。 (半)透明なものは、色を持たないために、それ自体としては もちろん目には見…
絵画(的なるもの)の起源をめぐって、西洋では古くから、 三種の神話が語り伝えられてきた。影と痕跡と鏡像(水鏡)がそれである。 古代ローマの博物学者プリニウスが語るところによると、 戦地に赴く恋人の影をなぞったのが、絵画の起源とされる。一方、キ…
証明は、定義からの必然的な帰結であり、少なくとも この定義されたものがもっているひとつの特質を、 結論として導き出すものである。しかしその定義が名目的であるかぎりは、どの定義からも、 それぞれひとつの特質しか導き出すことができない。 他の特質…
【余韻 よ-いん】 1 音の鳴り終わったのちに、かすかに残る響き。 また、音が消えたのちも、なお耳に残る響き。 余音。「鐘の音の―が耳もとを去らない」 2 事が終わったあとも残る風情や味わい。「感動の―にひたる」 3 詩文などで言葉に表されていない趣…
美はその本質において超越的なものです。 この此岸の世界からだけでは、 それはまるで把握できないのです。 美は客観化できません。いいかえれば、 美は測ることも計ることも数えることもできないのです。 美が知覚されるためには、 美を知覚できる人間が必…
実際、沈黙は一つの世界として存在している。 そしてこの沈黙の世界性によって、言葉は自己自身を 一つの世界として形成することを学びとる。 このように、沈黙の世界と言葉の世界とは 互いに向かい合って立っているのである。 したがって、言葉は沈黙に対置…
私の作品は単純でありかつ複雑である。 作品の素材の選択や制作行為を最小限のものに 止めるという意味で厳しく自己を限定しており、 無規定な素材をそのまま用いたり周りの空間を 受け入れるという意味で複合的でややこしい。つまり自己を最小限に限定する…
私はいかにして、無規定で不案内な未知性と関わることが 出来るか、そのことのために表現を試みるのである。 (中略) 人間を含めた大きな外界との関連の中で、自己を見ようと することが、私の歴史意識であり世界観である。 世界は私を越えてあり、不透明な…
作品は、語れるが言葉そのものではない。 作品は、外界と関わるものである限りにおいて、 言葉からズレ隔てられたものであるしかない。近代言語論的に従えば、言葉とは、つまるところ 自我の表出した代名詞であり、その再現である。私は時に、自我--言葉から…
私は無限感の漂う作品が好きだ。 描いたものと描いていない空間が絡み合って、 余白の力が漲る唐宋代の山水画や、 わずかに遺った絵画の破片とその周りを埋めた 広大な漆喰との鬩ぎ合いを見せる古代ローマの 壁画群など、そこには作者を遙かに食み出た、 大…
リアルなものは、外側の形態ではなく、事物の本質のほうである。 この事実から出発するとき、外面を模倣することによって 本質的にリアルなものを表現することはいかなる人にも不可能である。 コンスタンティン・ブランクーシ(彫刻家、1876-1957)
「本物とは、いろんなものを取り入れながらも それらを自分のものとして昇華させて、 濁りが無い澄みきった、それは目には見えない、 “幽玄”な佇まいを持っていることをいうのでは ないかと思います。」 (書家・木下真理子氏のblogより抜粋)
人間でも物でもそこらにころがっていれば存在している ことになるのではない。それぞれはその大きさ、位置、 間隔、方向などの照応関係によってはじめて人間であり 物であることになる。ある物が広がりをもち存在感の あるように見えるときは、必ずや他の物…
イメージは精神であり、物質、時、空間、視線のチャンスである。 われわれ自身の証しとなる痕跡であり、絶え間なく記憶や物語や 知の法則を支えるリズムを生きる文化のしるしだ。 マリオ・ジャコメッリ
手塚治虫が「鉄腕アトム」のイメージを造形しようとしたときに、 そのイメージの源泉になったものは、昆虫の世界でした。 子どもの頃から親しんでいた昆虫の社会をとおして、彼は生命の世界の奥深い構造を垣間見てきたのです。地球上の生物の中でも、昆虫ほ…
画家が花を見るのは好奇心からではない。花への愛情です。 愛情ですから平凡の菫の花だと解りきっている花を見て、 見厭きないのです。諸君は、何んとも言えず美しいと言うでしょう。 この何んとも言えないものこそ、絵かきが諸君の眼を通じて 直接に諸君の…