エンデの美1


美はその本質において超越的なものです。
この此岸の世界からだけでは、
それはまるで把握できないのです。
美は客観化できません。いいかえれば、
美は測ることも計ることも数えることもできないのです。
美が知覚されるためには、
美を知覚できる人間が必要です。

だからといって、美はただ主観的な体験にすぎないのでしょうか?
物質主義の思考は、世界のあらゆる文化があらゆる世紀で、
世代間ですら異なる美の概念をそだてあげたことを確認するだけです。

それはときにはまるで対照的と言ってもよいほどちがいます。
そのどこに共通するものがあるのでしょうか?
自然科学の経験主義に訓練された思考が、
この共通性を見つけられなかったことから、
美への問い全部が相対化されました。
美しいものとは、つまりその時々に美しいとされるものにすぎない、
そう言うのです。美そのものはまったく存在しません。

(中略)

美とはその本質において超越的なものだと、わたしは言いました。
つまり此岸のこの世界だけではまるで把握できないものなのです。
それは、いわば別のさまざまな世界からこの世に降り注ぐ光であり、
そのなかですべて事物の意味が変わります。

美の本質とは謎に満ちており、不思議なものです。
美の光のなかで、この世界の俗物性は
もうひとつの現実の啓示となります。
このもうひとつの現実からわたしたちはみんな
やって来たのであり、またそこへもどります。
そして、この世を生きているあいだは、
もうすっかり忘れてしまったにもかかわらず、
わたしたちはそれをあこがれ続けるのです。


(『エンデのメモ箱』「永遠に幼きものについて」より抜粋)