明暗


光と陰の調和について思う。
光と陰が、分離する時は物の存在性がくっきりとし、
どちらかに傾くとその有無の規定に影響を及ぼす。
光と陰が程よく一体化されて、物と物が共鳴し合えば、
対象性を越えてそこに豊かな空間が現れるのである。

東アジアでは、昔から半透明な障子を利用して、
内側の暗がりと外からの光を出会わせ、
柔らかく静かな空間を演出したものだ。

(中略)

光と闇の二元性を強調するところでは、存在論や認識論が発達し、
その両義性や複合性を好むところでは、場所論や関係論が著しい。

東洋の山水画で陰を描かないのは、世界を存在と無ではなしに、
まさしく光と陰の両義性が生きている場所と見るからであろう。

(中略)

余白が美しいのは、それが空白ではなく、
物や空間がお互いに呼応し合って
鮮やかに響きわたるところだからであろう。

そしてそれは、明暗の一体化された
一種の矛盾の世界と言っていい。
だからこの一体化は絶えず変化と暗示の
ニュアンスに富むのだ。


李禹煥『余白の芸術』より抜粋)