【美術】

贋作における「損傷」分析

シュタイングラバーは、オブジェを観察する要点は、 損傷、用途、年代の組み合わせだと教えてくれた。 「あらゆる損傷、ひっかき傷、打ち傷を見つけだし、心のなかで スケッチすること。つぎに、その傷がいつ、どのようにして ついたのか、説明してみること…

円覚寺の宝冠釈迦如来像、覚書

北鎌倉駅降りてすぐにある、臨済宗の大きな寺院 「円覚寺」を訪問。広い。 建物も鎌倉造りで、質実剛健、直線的な美しさがある。 無駄が一切無い。職人の仕事が匠なのだろう。 それでいながら、厳粛でなく、 アンビエントな雰囲気があたりを包む…とても落ち…

「シャルダン展」鑑賞の覚書

東京駅に隣接した、三菱一号舘美術館へ 「シャルダン展」を観に行く。 ジャン・シメオン・シャルダンの絵画を観るのは初めてだ。 瀟洒な洋館だった三菱一号館の室内に展示されている シャルダンの油彩画は小品が多く、そのほとんどが静物画だった。 解説にも…

「レーピン展」鑑賞の覚書

Bunkamuraザ・ミュージアムで開催されていた 国立トレチャコフ美術館所蔵「レーピン展」を鑑賞。 ロシアの画家イリヤ・レーピンの絵を観るのは始めてだ。 素描が巧く、素早い筆運び。 少ない線で細部まで的確に描きとめる力は見事。 まるでイラストレーショ…

「ジョアン・ミロ展」鑑賞の覚書

高知県立美術館で開催されていた 「ジョアン・ミロ展」を鑑賞。 暑い夏の平日だからか、ほとんど人がいない。 200点以上のリトグラフを観る。下手だ。だが「遊び心」に満ちている。 そこが面白く「ひょうげて」いて、まねできない。 いろいろな実験を試み…

「マウリッツハイス美術館展」鑑賞の覚書

上野の東京都美術館で開催されていた 「マウリッツハイス美術館展」を観に行く。オランダの観光美術館のコレクションだけあって、 近世オランダ、フランドル絵画の傑作が展示されていた。レンブラントの作品は10点以上、 ルーベンス、ブリューゲル、フラン…

光と美術2 ―レオナルド・ダ・ヴィンチのスフマート

レオナルドは『絵画論』の中で、暗い部屋で灯火に照らされた人物を どのように描くべきか説明しているが、夜景画を描いた形跡はない。 彼は、光を強調せずに闇を描いた画家であった。それは、暗さを目的としたものではなく、微妙な光によって立体感や 空間の…

光と美術

光は視覚世界においてはすべての根源である。 目がある事物を認識するとき、形態や色彩といった その事物についての情報は、それを取り巻く光に依存している。さらに光は聖なるものの根源でもあり、多くの文化圏において、 神、真理、理性などの象徴とされた…

フランシス・ベーコンの“リアリティー”3

(インタヴュアー)「最期に残るリアリティーとは何ですか。そして、 それは最初に描いた対象とどのようにつながっているのですか。」 (F・ベーコン)「必ずしもつながりがるわけではないのですけれど、 画家は最初にモチーフとなったものと同等のリアリテ…

フランシス・ベーコンの“リアリティー”2

(インタヴュアー)「これまでの話から判断して、結局あなたにとって 一番大切なのは、作品がリアリティーを直接的に表現しているかどうか ではなく、無関係なものを並べたときや、あるものをミスマッチな背景の 前に描いたときに生じる緊張関係であるように…

フランシス・ベーコンの“リアリティー”1

似たような作品がさまざまな方法で繰り返し作られ、 それらに囲まれた私たちは芸術漬けになっています。 そのため飽和点に達してしまい、リアリティーを生み出す 新しいイメージや方法を求めています。結局、人間は創造を欲するのであって、いつまでも過去を…

明暗

光と陰の調和について思う。 光と陰が、分離する時は物の存在性がくっきりとし、 どちらかに傾くとその有無の規定に影響を及ぼす。 光と陰が程よく一体化されて、物と物が共鳴し合えば、 対象性を越えてそこに豊かな空間が現れるのである。東アジアでは、昔…

単純さ

単純さは、芸術の目的ではない。 しかし、事物のリアルな感覚に接近してゆくと、 知らず知らずに単純さに到達するのである。 単純さは、その底に複雑さを秘め、 その意義を理解するためには、 その本質によって人は成長しなくてはならない。 コンスタンティ…

暗闇の床の中

眼がさめたとき、あるいは眠りに就く前に 床の中の暗闇で研究することについて― 暗闇の床の中にいるとき、以前に研究した形態の表面の 線とかその他微妙な観照によって把握された注目すべき 物を想像のなかで反復してみることは少なからず役に 立つものであ…

輪郭について

物体の輪郭はそれの一部分ではなくて、 それと接する他の物体のはじまりである。 かくのごとく交換的に、何の妨害もなく 前者と後者とは互いに輪郭をとなりあう。 したがってこのような輪郭は、 いかなるものの部分でもないのだから、 何ものをも占めていな…

ブランクーシの制作

”create like god, command like king, work like slave”.「神のように創造し、王のように指揮を執り、奴隷のように働け」 コンスタンティン・ブランクーシ(彫刻家、1876-1957)

紙の上の点

紙の上に点を打てば、それによって 下の紙の部分は消されてしまう。しかし点の下の部分は、消されることによって次の瞬間、 点をも抱え込んで一層大きく広いものとして蘇ってくる。つまり紙は点の辺りに海となって広がり、 点を島に変えてそこに浮かべる。芸…

制作のプロセス

通常はプランニングから制作を進める。 しかし逆に、物から、場所から、インスピレーションで 制作を始めることもたまにはある。 どちらも出発点であって、そのまますぐ作品になるわけではない。 プランニングから始めると、実際ではどんどんズレていくもの…

額縁―ひとつの美学的試み3

(『ジンメル・コレクション』「額縁―ひとつの美学的試み」より抜粋) 額縁の装飾全体を構成する決め手になっているのは、 流動と自己隔離の印象であり、これによって、絵画が あらゆる周縁的なものから絶縁されていることが強調される。 したがって分断のた…

額縁―ひとつの美学的試み2

(『ジンメル・コレクション』「額縁―ひとつの美学的試み」より抜粋) あらゆる心的現象において、ある存在が私たちにたいして距離を 保っているということは、その存在がそれ自身のうちで統一を 保っているということだ。なぜなら、ある存在が自己完結して…

額縁―ひとつの美学的試み1

芸術における境界とは、自然物において境界と呼ばれているものとは まったく意味を異にする。 自然物における境界とは、そのかなたにあるすべてのものとのあいだで、 たえまなく内浸透と外浸透が生じている場所というほどの意味しかない。 しかし芸術におけ…

余白の芸術

アートは詩であり批評でありそして超越的なものである。 そのためには二つの道がある。 一つ目は、自分の内面的なイメージを現実化する道である。 二つ目は、自分の内面的な考えと外部の現実とを組み合わせる道である。 三つ目は、日常の現実をそのまま再生…

ゲーテの色彩論

単彩画やそれに近い作品の巧みな明暗表現に接すると、 このうえもなく心が和んでくるが、それはひとに全体を 同時に知覚するからである。 普通、われわれの眼は時間的な経過のなかで全体を捉える。 だから全体は生みだされるというよりも、 むしろ探し求めら…

抽象2

天国について、まともな大人なら、好き勝手にいくらかの具体的イメージを含めながら、全体としては抽象的存在として認識できるが、その実在性は問題にする必要はない。つまり、天国なんて実在しない、と確信している人も、それなりに天国という世界を絵にえ…

抽象1

抽象というのはずるい。身勝手で自慰的で、それがそこに在ることが無いこととどれほど決定的に違うのか分かりにくい。 それでも、ぼくは、抽象はとても大切な認識の形式だとおもっている。跳躍力にすぐれているから広い世界を一気に、ひとつの概念で塗りつぶ…

河鍋狂斎の描画法

河鍋狂斎(1831-89)は、「浮世絵」の最後期の巨匠の一人だ。 エミール・ギメとフェリックス、レガメーは、 1876年に彼に会っている。しかし注目すべきは、 1887年にあるイギリス人画家が狂斎と対談し、 そのイギリス人画家自身が報告した対談の内容だろう。 …