無限について2


 作品は、語れるが言葉そのものではない。
作品は、外界と関わるものである限りにおいて、
言葉からズレ隔てられたものであるしかない。

近代言語論的に従えば、言葉とは、つまるところ
自我の表出した代名詞であり、その再現である。

私は時に、自我--言葉から出発するが、つねに
その先の方の未確定で未知な世界と関わりたい。

自我で世界を所有したいのではなく、
世界と関係し知覚したいのである。


 従って、私の作品は私の作品であると同時に、
かつ私だけに依るものではない。
作品は、私とは非同一なものである。
外界が作品深くまで入り込んでいるからだ。

私の芸術観は、一言でいえば無限への
好奇心の発露であり、その探究である。

無限とは、自分から出発して自分以外のものと
関わる時に現れるものを言う。
自己を自己として定立し表象化するのではなく、
他との関係の中で自己の存在を確認し、
そしてその関係が成り立つ場において
世界を知覚したいのである。


李禹煥『余白の芸術』より抜粋)