日本写真史観の見直し1

 写真は展覧会場に展示して美的価値を享受するためのメディア
ではない、という考え方が、かつては支配的だった。写真は本来、
記録性を特性とするメディアであり、複数性を特徴とするのだから、
印刷媒体を通じて広く大衆の眼にふれる社会性でなくてはならず、
報道や広告などの社会的な機能のなかでこそ、その独自の役割を
果たすことができる、という考え方である。

ここでは写真の実体は写っている画像にあり、写真プリントが
備えているモノとしての特質は無視されている。写真の特性で
ある複数性を印刷の複数性と同一視し、それを「大衆」という
また別の数に重ね合わせる考え方は、1930年代半ばから
70年代初めまで日本の写真界全体の主流だったようだ。

(中略)

 戦中に最も大きな写真マーケットだった「報道写真」、そして
名取洋之助が定着させたグラフジャーナリズムの写真観は、
印画を印刷原稿とみなし、写真が構成され文章とともに印刷され、
つまり編集されることで十全な意味を獲得し力を発揮する、
というものである。

この考え方は、かつて名取チームにいた、著名で長命だった写真界の
重鎮・土門拳木村伊兵衛とともに、戦後を生き続けた。
強烈な作家性をもったこの二人の写真家が、出版物を自分の作品と
みなしてオリジナル・プリントを軽視したために、彼らのネガは保存
されていてもヴィンテージ・プリント(撮影と同時期のオリジナル・プリント)
はほとんど現存していない。これは写真観変転のエピソードである。


(光田由里『写真、「芸術」との界面に』より抜粋)